Ignorance is bliss 


季節外れの転校生が来た。うちのクラスに二人。半端な時期にどうして同時に二人も転校生が?──と思ったら、彼らは兄弟らしい。蓮巳ネィトと杠葉ヨル。苗字が違うし顔もあまり似ていない。どう見ても兄弟だとは思えなかったが、何やら複雑な事情があるのだろう。聞くところによると一つ下の二年生にも転校生が三人入ってきていて、彼らも二人の兄弟らしい。まさかの五人兄弟。しかも噂では兄弟でバンドを組んでいるとか。謎の多いイケメン転校生達の登場に、クラス中──特に女子生徒達が──色めき立っていた。
それから数ヶ月。いろいろと目立つ存在ではあるが、転校生二人はうちのクラスに随分と馴染んできた。蓮巳なんかはたった数ヶ月で生徒会長にまでなってしまったのだから凄いものだ。因みにだが、俺はクラスの中でもあまり目立たない地味なタイプの人間である。クラスの中心にいる陽キャ達の輪には入れない。友達がいない訳ではないが多くもないし、部活も特にやってない。蓮巳や杠葉がクラスに馴染んだからといって、彼らの様なイケメンと俺とでは住む世界が違う。彼らとはほとんど会話らしい会話はしたことがないし、これからも挨拶を交わす程度の関係でしかないだろう。──そう思っていたのだが。
席替えで杠葉ヨルの後ろの席になった。それから数日後、いつかの休み時間のことだった。
「なあ、これアンタのか?」
机の上に見覚えのあるキーホルダーが置かれる。友人とよくプレイしてるオンラインゲームのキャラクター、それの手のひらサイズのぬいぐるみ。つまりマスコットキーホルダー。机の横にひっかけてる、俺の鞄に付けているものと同じだ。
「えっ……? あ、ついてない……う、うん。俺の、だわ」
自分の鞄を確認すると、付けていたはずのキーホルダーがなくなっていた。つまり机に置かれたキーホルダーは俺のもので間違いない。ただイケメンのクラスメイトに突然話しかけられるとビビるので、少しどもってしまった。恥ずかしい。
「ん。下に落ちてたぞ」
「……ありがと、杠葉」
たいして値段の高い物でもないし、とてつもなく大事にしているという訳でもないが、案外気に入っているのだ。拾ってくれたことに素直に礼を言う。杠葉って口も悪いし授業態度もあまり良くないし怖い奴かと思ってたけど、意外と優しいな──とか考えていたら、目の前の男が俺のマスコットキーホルダーを指でつついてじっと眺めていることに気が付いた。
「……これ、何か気になる?」
声をかけると、ハッとした顔をして手を離す。触っていたことを咎めた訳ではなかったのだが。
「わり、何かコイツ見たことあんなって思ってよ……でも思い出したわ」
「え、これ知ってる!? 杠葉もゲームとかやるのか!?」
イケメンバンドマンが俺のような陰キャがやってるゲームを知っているなんて、と思わず食いついてしまった。俺が少し身を乗り出してしまったので、杠葉はその分だけ後ろに下がって苦笑する。
「あー、いや、オレはやらねー。弟がたまにやってる」
「弟、って二年にいるんだっけ」
「ああ。アイツいっつもゲームばっかしてんだよな」
そう語る表情は柔らかい。見たことない、優しい顔だ。
「兄弟と仲良いんだな」
「そうでもねー」
この会話をきっかけに、何故だか彼とよく話すようになったのである。

杠葉ヨル。五人兄弟の次男。バンドでギターを弾いている。口は悪いが案外良い奴。料理が得意。チョコレートが好き。勉強はちょっと、いや、かなり苦手。朝弱いから登校してすぐは機嫌が悪い──杠葉と話すようになってから、彼についてわかることが増えてきた。HRの前とか休み時間、あと授業中に少しずつ会話をしているだけだが、クラスの中じゃ俺がいちばん杠葉のことを知っていると思う。俺のなんてことない話に『興味ねー』とか言っても、聞いてないようでちゃんと聞いてくれている。そして律儀に相槌を打ってくれる。たまに小さく笑ってくれるのが、結構嬉しい。
──そんな感じで、俺は浮かれていたのだと思う。杠葉と少し話せるだけで、自分が杠葉の特別になったような気でいた。

ある日の放課後。学校の図書室で勉強ついでに課題を済ませてしまおうとしていたら、明日までの課題のプリントがないことに気が付いた。ノートに挟んでおいたのだが、ノートごと机の中に置いてきてしまったようだ。面倒だが教室まで取りに向かう。
冬が近づいてきて日が落ちるのが早くなった。今は夕日で廊下が照らされているが、きっとすぐに暗くなるだろう。教室に近づいてくると、話し声が聞こえてきた。誰かまだ残っているのだろうか。
「あ〜〜〜〜! やってられっかよこんなもん……!」
──この声は、杠葉? そういえば小テストの点が悪すぎて、一人だけ追加で課題を渡されていたのを思い出した。まだ終わっていなかったのか。ノートを取りに来たついでに手伝ってやろうかと教室のドアに近付いたところで、杠葉とは違う声が聞こえた。
「でもこれを提出しないと帰れないんでしょ? 早く終わらせてよ」
聞こえてきた知らない声に驚いて、咄嗟に隠れて中を覗く。自分の席でプリントと向き合っている杠葉と、彼の側にクラスメイトの誰かではない男子生徒の姿が見える。やたらと顔が整っている黒髪の男。瞳の色が杠葉と同じだ。あれは──もしかして杠葉の弟?
「それができたらとっくにやってんだよ! マジでひとつもわかんねー」
「だからさっきから教えてるだろ、あとちょっとなんだから頑張ってよ」
二年の弟に三年の問題を教えてもらっているのか? 杠葉ってちゃんと卒業できんのかな……正直心配になったが彼の優秀そうな兄弟達がどうにかするのだろう。思わず隠れてしまっていたが、俺も早く目的のノートを回収して帰らなければ。気を取り直して自分の机に向かおうとしたところで──違和感に気付いた。
あの二人、距離が近くないか? 兄弟なら普通なのだろうか。生憎俺は一人っ子だから兄弟の距離感というものはわからないが、それでも普通ではないんじゃないかと思うのだ。さっきまで弟くんは杠葉の机に寄りかかっていたのだが、気付けば二人で同じ椅子に座って杠葉の肩に弟くんが頭を乗せている。高校生同士の男兄弟の距離感では、ないだろう。それだけ仲が良いのかとも考えられるが、さっきまでのやりとりを聞いていると仲が悪そうですらあった。二人の会話の内容と、視覚の情報が噛み合わないのだ。
俺がその場から動けずにいると、気付けば弟くんが杠葉の膝の上に乗り上げて額や頬にキスをしていた。何が起きている。
「ん……おい、早く終わらせろっつった癖に邪魔すんじゃねー」
「ヨルが遅いから俺は暇なんだよ。やめてほしかったらさっさとしてくれる?」
二人は、兄弟、なんだよな? いや逆に兄弟じゃないのにあの距離感だったらおかしいよな? だからって兄弟で……兄弟ってなんだ……?
俺は混乱していた。そして俺が混乱している間にどんどん様子がおかしくなってくる。
「誰か来たらどうす、んっ! やめろバカ……! ぅ、んん!」
「っは……ごめんね、我慢できなくなってきちゃって」
そう言いながら杠葉と弟くんは唇と唇でキスをしている。アレ、舌入ってるんじゃないか。杠葉は弟くんの肩を押して抵抗しているように見えるが、膝に乗られている上に後頭部をがっちりと押さえられていて逃げられないようだ。キスの合間に漏れ聞こえる杠葉の声が色っぽくて、こんなことは──他人のキスシーンを覗き見るなんてことは、やめなければいけないとわかっているのに、俺は未だ一歩も動けないでいるのだ。

「ぁ、はっ……んぁ、ぅ……」
普段聞いてる低くて鋭い声色からは想像もつかないような、甘い声。生々しい水音も聞こえる。これはいつまで続くのか。上手く思考が働かないまま、興奮と、絶望を感じている。
「ん、は……大丈夫? ほんと、ヨルってばいつまでも慣れないよね」
長いキスから解放された杠葉は、頬を上気させて、切れ長の目に涙を溜めていた。彼のあんな姿は見たことがない。自分の心臓の音がうるさくて、彼らに聞こえてしまわないかと要らぬ心配をしてしまう。俺は、自分が杠葉に抱いていた気持ちの正体に気付いてしまった。

音を立てないように教室から離れて、その後は走って家まで帰った。杠葉の顔と声が頭から離れなくて、一睡もできずに朝を迎える。課題のプリントを挟んだノートは持ち帰れなかったから、いつもより早めに学校へ行くことにした。杠葉は今日も遅刻ギリギリで教室に来るのだろう。あんな事があった後で、彼の顔をまともに見られる自信がない。俺はいつも通りに声をかけられるのだろうか。彼の──ただの、クラスメイトとして。