ゆめうつつ 

夢を見た。幼い頃の夢だったと思う。目が覚めたらどんな内容だったかは忘れてしまっていた。でも何だか懐かしくて──無性にひとつ上の兄の顔が見たくなった。今日の夕飯は兄弟皆で食べていたから、つい先程まで一緒にいたのに。皆が寝静まった夜更けの暗い廊下を一人で歩く。最近、朝と夜は特に冷える。廊下の冷たい空気にベッドから出たばかりの身体が少し震えた。夏に節約だとか言って冷房を禁止されていたのと同じ様に、暖房をつける許可もまだネィトから出ていない。
目的の場所に辿り着き、静かにドアを開ける。鍵が開いていてよかった。ベッドに一人分の膨らみを確認して中に潜り込む。部屋主の寝顔を見ようと、彼の顔にかかる髪に手を伸ばしたその時。
「何してんだ、こんな時間に」
俺と同じ空色の瞳と視線が合う。寝起きの悪いヨルがこの程度の物音で目覚める筈がない──ということは。
「起きてたの?」
「たった今寝ようとしてたとこだよ……っつーかアンタ、ノックもしねーで勝手に人の部屋に入ってくんな」
「ごめん、気を付けるよ」
こんな時間まで起きているから、朝がつらいのではないだろうか。でも今日は夜更かししてくれていてタイミングが良かった。
「それよりさ、ヨル。子守唄うたってよ」
そう言うと、まあわかってはいたが──目の前の男が怪訝な顔をする。
「子守唄って……アンタは赤ん坊かよ? オレはアンタのママじゃねーんだぞ」
「は? うるさいなあ……」
予想していたとはいえ、相手の馬鹿にしたような言い草にイラッとしてつい声を荒げそうになる。しかしこの時間から口喧嘩でもしたらさすがに他の兄弟達に怒られそうだ。何とか気持ちを落ち着かせて話を続ける。
「……ほら、昔よく歌ってくれただろ? 久しぶりに聴きたくてさ。ね? お願い」
ヨルは何か言いたげな様子で少しの間こちらを見ていたが、小さく舌打ちをしてから囁くように歌い出した。普段𝓑𝓛𝓞𝓞𝓓𝓢の前で歌う時のようなエッジの効いた声とは少し違う、柔らかく透き通った歌声。ひとつしか歳の変わらない兄が幼い頃よく歌ってくれた子守唄。この美しいメロディが俺の為だけに紡がれているのだと思うと、なんだか胸に温かいものがこみ上げてくる。
「──おい、これで満足したかよ?」
俺の頭をポンと軽く叩いてから髪を梳くように撫でる。その左手を、俺の右手で捕まえた。
「ヨル、手冷たい」
夏場には重宝される彼の手も、秋も深まってきた今の気温では少し冷たすぎる。
「あ? 文句があんなら自分の部屋で寝ればいいやん?」
「……それはやだ」
掴んだままの冷たい手をぎゅっと両手で包み込む。こうして握っていても、彼の手が温まることはないけれど。幼い頃は今とは逆にヨルがこうして俺の手を握ってくれていた。あの時はまだ温かかったこの手が、氷の様に冷たくなってしまったのはいつ頃だっただろうか。
「じゃ、大人しく寝てろっての」
「うわっ」
首と枕の間から手を差し込まれて、頭を抱えて引き寄せられる。ヨルの首元に顔を埋める形になった。彼が着ている、ふわふわと触り心地の良いパジャマが頬に触れる。急に涼しくなったとはいえまだ季節は秋なのに、今からこんなパジャマを着ていて真冬はどうするんだろう。──けど、確かにあたたかい。パジャマのふわふわの生地と、ゆったりとしたリズムで刻まれるヨルの心臓の音がじわじわと眠気を誘ってくる。
「あたたかいね、ヨル」
半分寝かけたままで声をかけると、返事の代わりにまた優しく頭を叩かれる。この兄は、いつまで経っても俺を子供扱いするんだ。文句を言ってやりたいけど、今の状態が不思議と心地よくて意識はどんどんあいまいになっていく。朝になったら俺がヨルを起こしてあげないとな、なんて考えながら、深い眠りに沈んでいった。